2013年8月27日火曜日

天国に最も近い島、ニューカレドニア、Nouvelle-Calédonie and L'Ile des Pin

今年の夏休み、たまたまニューカレドニア(Nouvelle-Calédonie)に行くことができた。天国に最も近い島と呼ばれているこの島に行けたことは、定年前の私にとっては偶然ではないのかもしれない。

そのあまりにも美しい島々の写真を撮ろうとしたが、結果的には満足いく写真がそれほど無かった。あまりにも強烈な光をうまくコントロールできなかったからだろうか。
そこで、現地で購入した、L'Ile des Pin - Kunié et ses horizonsÉditions Pétroglyphes, 2007を紹介してみたい。この本はAmazonでは販売していないので、現地で買うか、出版社に直接に問い合わせしないといけないのかもしれない。貴重な作品なのに、本当にもったいない。

今回の旅行の最初は首都のヌーメアに着くところから始まった。泊まったホテルが持つ海岸も広く遠浅で、数十メートル沖まで歩いて行くことができるほどだった。もちろん、さまざまな海のアクティビティがとても盛んである。

今回の旅行の最大のイベントは、上記の書籍の名前にある、イル・デ・パン(L'île des Pins (Kunié en langue kanak))に行くことだった。ヌーメアから国内線で25分、比較的近いが、便が多くないので、移動には時間がかかる。
まず着いたのは、島の南西部クト・ビーチである。写真(同書、p.14-5)の通り、真っ白な砂浜が延々と続き、海は透明で深く青い。
ビーチの中心にあるホテル・クブニーから海岸を歩き始めたが、写真の向こうにある海岸に着くには相当の時間がかかる。

クト・ビーチのちょうど反対側、島の北東部にあるのが、オロ湾である。(同書、p.44-5)である。この写真は、そこで天然のプールと呼ばれている場所である。
ここに行くには途中で車を降り、このプールから流れ出ている美しい川を遡って行くことになる。
クト・ビーチよりさらに水の色が濃く澄み切っている。
この近くにはホテルもあるが、この美しい自然は保たれている。イル・デ・パンには、これら以外にも美しい場所はたくさんある。

ところで、ニューカレドニアは、フランスでも特殊な地方行政区画「特別共同体 (a collectivité sui generis)」である。民族の構成は、メラネシア人が42.5パーセント、フランス人を中心とするヨーロッパ人が37.1パーセントである。(以上は、Wikipedia)2つの民族が、ほぼ同じ割合となっているため、微妙な均衡が保たれているように見える。ヌーメアでもメラネシア文化とフランス文化が共存していて、ガイドブックが言うように、プチ・パリの雰囲気が漂う場所がいくつもある。
自然の美しさとともに、この土地の文化の独特さがとても興味深い。日本人がもっともっと訪れて欲しいと思う。ニューカレドニアの基本情報は、観光局から入手できる。

ところで、最後に全く私事なのだが、このツアーの帰り道、クレジット・カードや現金などの重要なものを入れていたリュックサックを近鉄電車内に置き忘れてしまった。気がついてすぐ近鉄に問い合わせたが、そのままの形ですぐに見つかった。届けていただいた方は名前も告げずに去られたという。届けていただいた方に、この場を借りて心からお礼を申し上げます。
また、このような安全な国で生活していることが、改めて本当に誇らしく思った。

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2013年8月16日金曜日

鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』を読む、後編

鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』(山川出版社、2013年)は、本ブログの前編でも述べたように、さまざまな問題提起をしている。ただ、やや残念なのは、鳥海氏が経済的な要因をそれほど重視していないのではないかと思われる点である。

鳥海氏は日本の高度成長について、次のように述べている。(p.121)
「高度成長」の秘密をどこに求めるかについては, さまざまな考え方があるが,(1)寺子屋教育の伝統を引き継いだ学校教育による国民教育の普及,とりわけ国民の読み書き能力の高さ,(2)出身身分や階層に関係なく教育制度を通じて中下層の庶民が国家の指導階層にまで上昇し得るようなタテの社会的流動性の高さ,(3)「日本人の勤勉性」,(4)宗教的束縛の欠如,(5)そして,国民の大部分が同一民族からなり,同一言語を用い,宗教的対立や民族紛争による流血もあまりないという状況のもとでの日本社会の同質性の高さなど,江戸時代以来の日本のさまざまな歴史的前提条件の重要性を考慮することが必要であろう。」((1)から(5)の番号については、新保が付けた)
これらはすべて重要な要因であることは疑いないが、残念ながら明確な経済的な要因は入っていない。

しかし、日本の「高度成長」の秘密、あるいは日本資本主義の独自性は、経済的な要因からもっと明確にできるし、それを用いることで、前編で紹介した鳥海氏の最初の問題提起の意義がさらに明らかになると思われる。なお、ここで述べられているのは、厳密に言えば、日本の近代化についてであり、本書の対象とはなっていない戦後の高度成長のことではない。

まず、江戸時代には商品経済が著しく発展しており、世界で最初の先物市場も形成されていた。この点については、以下のような多彩な研究があり、世界の多くの研究者が着目している。いくつかの重要な研究を挙げておこう。
 宮本 又次, 株仲間の研究,
 岡崎 哲二, 江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間,
 Ulrike Schaede, Forwards and futures in tokugawa-period Japan:A new perspective on the Dōjima rice market, Journal of Banking & Finance, Volume 13, Issues 4–5, September 1989, Pages 487–513.
 Markets in Osaka, http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/e/column/markets_in_osaka.html

次に、このような基礎の上に、明治時代には、市場経済が急速に発展した。1878年の東京と大阪の株式取引所の設立が、市場経済と企業活動の発展に大きく貢献した。私が何度も強調しているように、第2次世界大戦以前の金融システムとコーポレート・ガバナンスは市場中心型であった。これについては、私の研究を参照していただきたい。
なお、このような見解を最初にまとめて展開されたのは、スタンフォード大学の星岳雄氏である。

さらに、このような市場中心型のコーポレート・ガバナンスであったため、日本の主要企業は市場から大量の資金を調達し、海外特に東アジアに積極的に投資することができた。その投資は、アジア各国の近代化に大きく貢献した。中国や韓国は、このような投資の事実も、積極的な貢献にも沈黙しつつ、日本への根拠の無い批判を続けている。

日本の近代史研究は、鳥海氏の問題提起を受けて、日本資本主義の独自の性格と、当時の世界とアジア経済への積極的な貢献を明らかにしていく必要がある。

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鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』を読む、前編

終戦の日には、改めて日本の近代史を振り返ってみたい。

鳥海靖『もういちど読む山川日本近代史』(山川出版社、2013年)が、日本近代史研究の現在までの成果を集約し、今後の方向を示す重要な問題提起を行っている。冒頭の序と、いくつかのコラムを紹介しておきたい。
近年、教科書が改めて読み見直されるようになっているが、本書はそのシリーズのひとつとして出版された。鳥海靖氏は、『もういちど読む山川日本史』の著者でもある。後者はKindle版もあって便利である。

(p.1)では次のように述べている。
「第二次世界大戦の敗戦からほぼ20年, 1960年代半ばごろまで,日本近代史の分野では,マルクス主義歴史学,ないしそれに同調する立場からの歴史研究が圧倒的に主流を形成してきた。そこでは歴史は,おおむね国家権力の人民への抑圧とそれに対する人民の闘争として図式化される。そして,明治維新以降,第二次世界大戦の敗戦にいたるまでの日本の国内体制の「圧政的」「専制的」性格が強調され,日本の近代について,西洋先進諸国の近代との比較において,もっぱらその「遅れ」「ゆがみ」「不十分き」「半封建的性格」などが説かれるとともに,対外政策の面での日本の「侵略性」が力説されるのである。要するに,そこでは,日本近代史をほとんど全面的に否定的に理解・評価する傾向が濃厚であった。」(太字は新保による、以下同じ)

さらに続けて、鳥海氏は以下の様に展開している。従来の研究では、1. 西欧理解があまりに観念化・理念化されている、2. 制度上の実際の運用を軽視している、3. 今日的価値を基準としている、と言う。
以上は、戦後の近代史研究へ明解な批判であり、非常に重要な問題提起である。この著作をひとつの契機にして、具体的な見直しがあらゆる分野で進められるだろう。

鳥海氏は、このような基本的な批判にもとづいて、「「日本ファシズム」論をめぐって」(p.223)では、以下のような興味深い展開を行っている。
「確かに日本では,ファシズムの最大の特質と考えられるナチス流の強力な一党独裁体制を欠き,ヒトラーのような独裁者も出現せず,政治的反対派に対する徹底した大量粛清もなかった。天皇機関説の否認,国家総動員法の制定,大政翼賛会・翼賛政治会の成立(複数政党制の解消)などにより,明治憲法の立憲主義的側面は制定者の意に反して大幅に後退し,議会の権限は弱体化したが,憲法自体は改廃されなかったから, ドイツのナチス独裁やソ連の共産党独裁のような強力な独裁体制をつくりあげることは困難だった。

上記のような指摘さえ、これまでは戦前の体制を美化するものとして、学問的に裏付けされること無く、政治的に批判され続けてきた。しかし、このような視角でとらえてはじめて、日本資本主義と日本社会の独自の性格と積極的な役割に近づくことが可能となる。
次回のブログ(後編)では、鳥海氏の問題提起では、あまり重視されていない経済的な要因を探りながら、日本資本主義の独自の性格と積極的な役割について検討してみたい。

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