2017年8月9日水曜日

フーバー大統領『裏切られた自由』での、中国と朝鮮、『フーバー大統領回顧録』紹介(3)

フーバー大統領の『裏切られた自由』には、中国と朝鮮に関する興味深い記述がある。藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』(2016年1月刊)と、渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』(2017年7月刊)によって紹介しておこう。

これまでの3回のブログでまとめたように、ルーズベルトのアメリカはスターリンのソ連との事実上の同盟関係にあったが、中国においては国共合作を受け入れた蒋介石との協力関係を深めることで、間接的に中国共産党を支援した。ルーズベルトによる共産主義体制との連携と協調は、世界的な規模で進められたのである。それは、日本撤退の後、弱体化した蒋介石政権に代わって中国共産党が全中国を支配する道を開いた。

フーバーは、『裏切られた自由』のDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years”で、中国について次のように述べている。
「トルーマン、マーシャルとアチソンが中国に関して、政治の大道を見失ったのが第一八番目の誤ちである。ルーズベルトは、蒋介石が共産党と協力することにこだわって、中国に関する裏切りの秘密協定がヤルタでできた。その結果モンゴルと、事実上満州をロシアに手渡すことになった。トルーマンは全中国を共産主義者の手に委ねてしまった。それはトルーマンの左翼の側近の根強い影響の為である。・・・
そしてとどのつまりは、四億五〇〇〇万ものアジアの人々を、モスクワ傘下の共産主義の傀儡政権の手に委ねる事になってしまった。」(藤井厳喜他:128-9, フーバー:882)

また、フーバーは以前訪問した朝鮮について、Section III The Case History of Korea, Introductionで以下のように述べている。戦後七〇年経っても、学術的な意義のある論証や論争を抜きにして、韓国は日本の統治に批判を続けている。しかし、この文書からも、イザベラ・バードやエッカートが紹介した事実を改めて確認できるだろう。

「当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。山にはほとんど木がなかった。盗賊が跋扈し、秩序はなかった。
日本の支配による三五年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionalized)。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は、禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。」(渡辺惣樹:170, フーバー:737)

以上のように、『裏切られた自由』は第2次世界大戦の前後の時期についての様々な事実を明らかにしている。これを機会に、ぜひ『裏切られた自由』そのものの検討へと進んでいただきたいと思う。

『裏切られた自由』についての私の冒頭のブログ
第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る (2017.8.6)

戦前の朝鮮に関する記事については、以下の私のブログもご参照ください。
イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (2)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours (2013.9.1)
イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (1)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours (2013.9.1)
その時期での日本の経済的な影響については、以下の私のブログもご参照ください。
エッカート『日本帝国の申し子』、Carter J. Eckert, Offspring of Empire (2014.1.4)

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2017年8月8日火曜日

渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、『フーバー大統領回顧録』紹介(2)

『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』(Freedom Betrayed)を紹介した第2の書籍は、『裏切られた自由』の翻訳者である渡辺惣樹氏の『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』(2017年7月刊)である。同書は基本的に『裏切られた自由』の順序に沿って論じている。

目次は次の通り。
一章 ハーバート・フーバーの生い立ち、
二章 『裏切られた自由」を読み解く その一:共産主義の拡散とヨーロッパ大陸の情勢、
三章 『裏切られた自由』を読み解く その二:チェンバレンの「世紀の過ち」とルーズベルトの干渉、
四章 『裏切られた自由」を読み解く その三:ルーズベルトの戦争準備、
五章 連合国首脳は何を協議したのか

以下では、主にフーバー大統領の重要な主張を、章の順序にそって紹介していきたい。この書で、渡辺氏は『裏切られた自由』を詳しく紹介するとともに、ハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』などの関連する重要な文献を紹介している。これらにも注目していただきたい。

二章 
フーバーの基本的な立場
「(ナチス体制を嫌うアメリカ国民は、民主主義国に同情するだろうが)アメリカはヨーロッパの問題を解決できないことを肝に銘ずるべきだ。我が国ができることは、あくまで局外にいて、アメリカの活力と軍事力を温存することである。その力を必ずや訪れるはずの和平の時期に使うべきである。それこそが我が国の世界への貢献のあり方である」(W:44, 107, Editor's Introduction:xxxii)
フーバーは、ルーズベルトの失敗の始まりは共産国家ソビエトの承認であったとしている。この政策の採用には、大統領の周辺と政府組織に入った多くの共産主義者やその同調者が大きな影響を与えているという。

四章
武器貸与法と戦争準備
この法律(武器貸与法、1941年3月)で大統領は開戦権限まで持つことになり、議会は追認するだけの機関になり下がる。このままでは我が国そのものが国家社会主義国家に変貌し、ルーズベルト自身が独裁者となる。」(W:120, Editor's Introduction:l、Wは渡辺氏の著作でのページ数、Hは”Freedom Betrayed”でのページ数、以下同じ)
この法律によって、アメリカはソ連に対しイギリスに次ぐ額の武器を支援した。
「国民も議会も我が国の参戦に強く反対であった。したがって大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国に対する明白な反米行為(some overt act against us)だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。」(W:129, H:247)
こうして、着々と日独に対する戦争の準備が進められた。

日米開戦への最終局面での交渉と、フーバーの和平への期待
駐日大使グルーの本省宛ての報告書を、フーバーは詳しく紹介している。「(近衛首相は)現今の日本の国内情勢を鑑みれば、大統領との会談を一刻の遅滞もなく、できるだけ早い時期に実現したいと考えています。近衛首相は、両国間のすべての懸案は、その会談で両者が満足できる処理が可能になるとの強い信念を持っています。」(W:139, H:271)
結局ルーズベルトは会談に応じず、近衛首相は失脚した。
近衛の失脚は二十世紀最大の悲劇の一つとなった。彼が日本の軍国主義者の動きを何とか牽制しようとしていたことは賞賛に値する。彼は何とか和平を実現したいと願い、そのためには自身の命を犠牲にすることも厭わなかったのである。」(W:143, H:277)

五章
ヤルタ会談と秘密協定、原爆投下について、ルーズベルト批判
フーバーは、ニューヨーク・ワールド・テレグラフ紙を引用した。「合衆国はジャップとの戦いに参加させるために、ロシアを賄賂(領土上の不当な要求:新保補足)で釣るようなことをしてしまった。まったく不要なことであった。こんな意味のない賄賂が、これまでにあっただろうか」(W:201, H:693)
この賄賂がロシアの軍事的進出を促し、今なお日本を苦しめている。
「アメリカ人の多くが、この発表がポツダム会談の三カ月前になされていれば、数千のアメリカ兵の命が救われていたと思っている。また数千もの女性や子供あるいは民間人を殺戮した爆弾も投下されなかったと考えるのである。」(W:212, H:565)
前のブログで紹介した、藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』が紹介したように、フーバーは別の箇所で原爆の投下に明確に反対している。

なお、"Freedom Betrayed"のDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years” 1953, pp.875-883については渡辺氏の著作では取り上げられていない。藤井厳喜他と以下の私のブログを参照していただきたい。

<関連するブログ>
第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る (2017.8.6)
藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』、『フーバー大統領回顧録』紹介(1) (2017.8.7)

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2017年8月7日月曜日

藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』、『フーバー大統領回顧録』紹介(1)

『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』(Freedom Betrayed)を紹介した書籍は、現在2つある。このブログと次のブログで順に紹介したい。
まず、藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道著、 加瀬英明序『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』(勉誠出版、2016年1月刊)である。

目次は以下の通りである。
序 加瀬英明
鼎談 "FREEDOM BETRAYED" をめぐって 藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道
 第一章 誰が戦争を仕掛けたのか
 第二章 過ったアメリカの政策
 第三章 戦争を引き起こした狂気
ウェデマイヤー将軍の回想ー第二次大戦に勝者なし 藤井厳喜
いま明らかになった大東亜戦争の真相 稲村公望
日米戦争は狂人の欲望から 茂木弘道

上記書第二章に、"Freedom Betrayed" (フーバー回顧録)の、ある意味で要約ともなっているDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years” 1953, pp.875-883の詳しい紹介がある。内容は以下の通りである。赤字の箇所は、日本と特に関係が深い箇所である。

失われた手腕(「誤り」:藤井氏の訳)
1 一九三三年の国際経済会議の失敗、2 ソ連承認、3 ミュンヘン融和の成功と失敗、
4 英仏の『ポーランドとルーマニア』への独立保証、5 アメリカの宣戦布告なき戦争、
6 警戒心を持った忍耐政策を取らなかった、7 ソ連共産主義を助けた事、
8 一九四一年七月の日本への経済制裁、9 一九四一年九月近衛和平提案を拒絶した事、
10 日本との三ヶ月の冷却期間を拒絶した事、11 無条件降伏の要求、
12 一九四三年一〇月のバルト三国とポーランド東部のソ連への譲渡、
13 一九四三年一二月、七つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事、
14 ヤルタの秘密協定、15 一九四五年五月~七月日本の和平提案を拒否したこと、
16 トルーマンのポツダムでの決断、17 原爆投下、
18 毛沢東に中国を与えたこと、19 戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事、
(藤井厳喜他, pp.69-135、以下も同様、なお上記のタイトルは、原書タイトルより説明的に追記されている)

上の赤字の項目について、フーバーの主張を詳しく見てみよう。
8 「その経済制裁(1941年7月の日本に対する:新保注)は、弾こそ射って射なかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」
9 「皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題(満州の返還)をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう」
10 「スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾で負けたのだ。」
11 「無条件降伏の要求は、敵国の軍国主義者や扇動者に利用され、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。」

14 「スターリンが一二の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけではなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす、悪しき勢力の動きを助長するような秘密の協定が多数結ばれた。
15 「日本との和平はただひとつの譲歩で連成できた。それは天皇の地位の保全である。・・・。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。」
16 「アメリカの経験ある多くの専門家が勧告した、天皇を維持することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したのである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、最後になって、この条件が受け入れられた」
17 「・・・トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を下したことである。日本は繰り返して平和を求めていたにもかかわらず。これはアメリカの全ての歴史のなかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。これはアメリ力の良心に対して、永久に重くのしかかるであろう

これらの文面から、フーバーは日米間の和平の動きを支持し、開戦の動きを止めようとしたことがわかる。また、一旦戦争が始まると、それが早期の講和に繋がるように期待していたと言えるだろう。

では、以上からもわかるフーバー大統領の基本的な考えはどのようなものだったろうか?まず何よりも共産主義への一貫した厳しい批判である。その批判は、ルーズベルトのソ連の承認に始まり、戦後処理のすべての過程に亘っていた。その批判は、ルーズベルトの政策が、戦後の共産主義体制の拡大、東西冷戦をもたらしたことにも向けられていた。
フーバーはまた、ルーズベルトのニューディール政策が十分な成果を挙げておらず、それに代わって経済のより早い回復のため戦争の開始をめざすようになったと考えている。
しかし、フーバーは、ルーズベルトの考えが、アメリカ国外での戦争、紛争への不干渉という、アメリカの伝統的な政策とも相容れないと見なしていた。

『裏切られた自由』は、日本などの戦争責任のみを一方的に断罪する第2次世界大戦に対する伝統的な見方に根本的な見直しをせまるものである。藤井厳喜氏らの『日米戦争を起こしたのは誰か』はその紹介とともに、独立した論文「ウェデマイヤー将軍の回想ー第二次大戦に勝者なし」の紹介などもあり、より幅広い検討が可能になっている。

多くの方が、まずこの書籍とともに、次回のブログで取り上げる渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』も読んでいただき、膨大な『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』にまで読み進んでいただきたいと思う。

前回のブログ:第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る

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2017年8月6日日曜日

第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る

長らく待たれていた『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』の翻訳が刊行される予定である。上下2巻で上巻は7月13日刊行済み。(Freedom Betrayed: Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath, Edited with an introduction by George H. Nash, Hoover Institution Press, 2011, Pages: 1,080)

ハーバート・クラーク・フーバー(Herbert Clark Hoover, 1874-1964)は、アメリカ合衆国第31代大統領(1929-33)である。大統領在任最初の年に有名な世界大恐慌がアメリカと世界を襲い、その勃発と長期化を防げなかった政治的な責任に対する批判によって、フーバー大統領の評価は高くなかった。
しかし、彼が大統領になるまでの企業家や政治家としての実績、アメリカ的な理念に基づく大統領職務の遂行だけではなく、本書に見られるような膨大な資料の収集とその緻密な検討によって、従来の第2次世界大戦観を見直そうとした彼の業績が改めて見直されようとしている。

次回のブログから2回に分けて、藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(2016年1月刊)と、渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く(2017年7月刊)によって、"Freedom Betrayed"を読み解いていきたい。

フーバー大統領の基本的な考えは、何よりも共産主義への一貫した厳しい批判である。その批判は、ルーズベルトによるソ連の承認に始まり、ソ連との同盟による戦争準備、終戦処理でのソ連への大幅な譲歩などのすべての過程に向けられていた。それは同時に、そのルーズベルトの政策が、戦後の共産主義体制の拡大、東西冷戦をもたらしたことにも向けられていた。
スターリン支配下のソ連と各国での共産主義運動との対決を念頭に、フーバーは日本に対しては日米開戦の回避、開戦後は速やかな講和を求めていた。その意味で、日本人にとって第2次世界大戦を根本的に見直すための不可欠な文献である。

今、冷戦時とは状況がやや異なるとは言え、共産党一党独裁を強める中国の軍事的海外進出や、国内の民主化運動への弾圧、北朝鮮の度重なる軍事的挑発、ソ連崩壊後のロシアの軍事的海外進出は、冷戦時に匹敵する世界的な混乱と危機を生み出している。
これらの事態に対しどう対処すべきかについても、この書籍は私達に重要な示唆を与えてくれる。

まず、"Freedom Betrayed"の構成は、以下の通りである。
VOLUME I
I A Great Intellectual and Moral Plague Comes to Free Men, II I Make an Appraisal of the Forces Moving among Nations in 1938, III A Revolution in American Foreign Policies, IV 1939: In Europe, a Year of Monstrous Evils for Mankind, V The Communist-Nazi Conquest of Europe, VI More American Action-Stronger Than Words-but Less Than War, VII Brainwashing the American People, VIII The Revolution in American Foreign Policies Continued, IX The Opportunity to Make Lasting Peace Comes to Franklin Roosevelt, X The Road to War
VOLUME II
XI The March of Conferences, XII The March of Conferences, XIII The March of ConferencesーThe Tehran-Cairo Conferences November-December 1943, XIV The March of Conferences, XV The March of ConferencesーThe Yalta Conference: February 4-11, 1945, XVI The Rise, Decline and Fall of the Atlantic Charter, XVII The First Days of the Truman Administration, XVIII The March of Conferences-The Potsdam Conference and After
VOLUME III: Case Histories
I A Step-by-Step History of Poland, II The Decline and Fall of Free China-A Case History, III The Case History of Korea, IV Vengeance Comes to Germany
APPENDIX 
Selected Documents Pertaining to Freedom Betrayed 
About the Author and the Editor
Index

第2次世界大戦について見直すためには、『第二次世界大戦に勝者無しーウェデマイヤー回想録』やハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任 -大統領が最も恐れた男の証言』などは、本書ともに必読の文献である。ウェデマイヤーとフィッシュの文献については、すでに私の以下のブログで紹介した。これらの著作をあわせ読めば、ルーズベルトによる共産主義体制との妥協を基本とする外交政策は、アメリカ国内で幅広く批判されていたことが理解できる。

ハミルトン・フィッシュ(Fish, Hamilton)の『ルーズベルトの開戦責任』 (2015.7.17)
第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー(Wedemeyer,Albert C.)回想録 (2015.7.21)

『裏切られた自由』(上)の出版社草思社のwebsite
草思社のブログでの同書の紹介

2017年7月24日月曜日

劉暁波の死を悼む

中国の民主化をめざして活動してきた劉暁波氏が、肝臓がんのため、7月13日中国遼寧省瀋陽の病院で亡くなった。服役中に患ったがんの治療を国外でという本人と家族の希望を、中国政府は受け入れなかった。

氏の死を悼む行動や出版は、残念ながら決して多くはなかった。出版としては、ニューズウィーク日本版(7月25日号)がSpecial Reportを掲載し、「彼の早過ぎる死に中国政府は重大な責任を負う」と書いた。

劉暁波氏の構想は、彼の著書「天安門事件から「08憲章」へ」によく表れている。私は私のブログ「決して忘れてはならない天安門事件と08憲章、Tiananmen Square protests of 1989 and Língbā Xiànzhāng」(2015年6月1日(月曜日))で詳しく紹介した。

改めて以下に目次を示すので、ぜひ多くの方が読んでいただきたいと思う。
以下は、08憲章の概要である。(同書、209-227ページ)
「一 前書
二、我々の基本理念
 中国の未来の運命を決定するこの歴史の岐路に立ち、百年来の近代化の歩みを省みて、下記の基本理念を再び言明する必要がある。
 自由、人権、平等、共和、民主、憲政
三、我々の基本的主張
 これにより、我々は、責任を担う建設的な公民の精神に基づいて、国家の政治制度、公民の権利と社会発展の各方面について、以下の具体的な主張を提起するものである。
 1、憲法改正、2、分権の抑制的均衡、3、立法による民主、4、司法の独立、5、公器の公用、6、人権の保障、7、公職の選挙、8、都市と農村の平等、9、結社の自由、10、集会の自由、11、言論の自由、12、宗教の自由、13、公民教育、14、財産の保護、15、財税改革、16、社会保障、17、環境保護、18、連邦共和、19、正義の転換
四、結語」

重要なのは、最後に「署名規則」があり、「一 本憲章は公開署名とする。二 本名または常用のペンネームで署名し、所在地と職業を明記されたい。」と記述されたことであり、署名者は303名(第一次)となっていた。

憲章が公表されてほぼ10年が経過したが、中国の民主化をめぐる状況はいっそう悪くなっている。中国国内での民主化運動に対する徹底的な弾圧、インターネットの管理と統制はさらに強まり、対外的には南シナ海などのへ海洋進出、香港の一国二制度の形骸化、台湾の外交活動への妨害、日本への挑発的な軍事行動、などである。
こうした行動を支えているのは、中国経済の発展である。中国経済の影響力は、内部に深刻な問題を抱えながらも拡大している。中国経済に依存が深まっている日本や、ヨーロッパ諸国が、民主化運動を弾圧する中国政府に批判を抑制している。

しかし、民主化運動への弾圧と独裁政治はいつまでも続けることはできない。弾圧を続ける過程で、政治的な支配層や有力な企業に腐敗や不正が拡大し続けるからである。経済成長の鈍化、格差の拡大とともに、民主化への移行が現実となるだろう。そのときに再び劉暁波氏の遺産が再び脚光を浴びるに違いない。

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2017年7月12日水曜日

アジア企業の最新ランキング:インド・台湾企業の躍進

 日本経済新聞社は、2017年6月にアジア企業の最新のランキングを発表した。「Asia300」の327社を対象に成長力(2016年度までの5年間の売上高と純利益の平均増減率)、収益性(16年度の売上高純利益率)、資本効率(同自己資本利益率=ROE)、安全性(同自己資本比率)を独自に点数化し、総合的に優れた企業をランキングしている。最上位のLargan Precisionを100とし、各企業はそれに対する比率で表されている。
 この調査について、私は論文「アジア企業の最新ランキングとインド企業の躍進」で詳しく検討した。以下はその簡略版である。
 表1(簡略版)は、上位15社と上記の経営指標、筆頭株主を示している。ここで注目すべきなのは、15社のうちインド企業が5社、台湾が4社となっていること、インド企業は情報技術で優位に、台湾企業はTSMCやLARGAN Precisionだけでなく多様な企業を含むことである。
 ところで、アジア企業には政府系企業(背景が緑色)、外国企業系企業(オレンジ色)、財閥系企業(青色)が有力であると見られてきたが、中国などを除けば次第に後退していることもわかる。


  上記論文では、アジア企業で最も注目されているインド企業についても詳しく検討している。表4(簡略版)はアジア企業と同じ指数に基づくインド企業上位10社を示している。上位5社については表1で示した。6位以下では、LupinなどのPharmaceuticalsの企業や、日本のスズキの子会社Maruti Suzukiなどの活躍が注目される。






輸出志向工業化の開始以降続いてきたアジア企業の躍進は、またひとつ新たな段階を迎えようとしている。先行したアジアNIES、ASEAN、中国などを追跡してきたインド企業が、新たなIoT(Internet of Things)革命の進化の過程で新しいけん引役となっている。インド企業は経営効率の面でアジア企業の最先端を走っているだけではなく、市場と幅広い株主を基盤にした企業の発展もけん引している。
 詳しくは、上記の私の論文を参照していただけましたら幸いです。

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2017年6月19日月曜日

奈良の円成寺、Enjyouji in Nara

奈良駅からバスで約30分、柳生への途中にある円成寺(本ブログタイトルの英語表記はweb addressから採った)を初めて訪れた。
一部の旅行案内にはあるが、交通の便があまり良くないにも関わらず、かなりの人が訪れている。柳生への行き帰りに立ち寄っている人が多いのだろうか。
ちょうど青紅葉の季節でもあり、まず入口の美しさに期待が膨らんだ。

門をくぐってすぐに、広大な庭園に驚く。手入れも隅々までとても行き届いていて、期待通りの美しい庭園だった。
「平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。」(円成寺HPから)

本堂に入るとこれまで見たことも無いような極彩色の柱に囲まれた内陣がある。下に見るように、今でもその色は確認できる。

やはりHPによれば、「本堂内陣母屋四本柱には、本尊阿弥陀如来に従うように観音菩薩、勢至菩薩をはじめ、様々な楽器を演奏し舞い踊る諸菩薩が極彩色で描かれています。」
(円成寺のパンフレットは白黒なので、左の写真は『関西の寺あそび』(京阪神エルマガジン社、2017年、p.94-5)を利用した。)

柱絵の主な部分を拡大したのが、次の画像である。このようにあでやかな衣装から独特な楽器に至るまでの絵が四本の柱いっぱいに豪華に描かれている。
本尊や柱絵の諸菩薩、さらには本尊を守っている四天王像のすべてが原色のままであったなら、さぞかしまばゆいばかりの極楽浄土を再現することができただろう。
(画像は、円成寺パンフレットから)


以上は本堂であるが、左の写真は、平成に入って再建された多宝塔の本尊である大日如来坐像である。

運慶の20代歳代の作品とみなされている。像は穏やかながら若々しい表情で描かれているように思われる。
寺のパンフレットによれば、「唯一の自筆の墨書銘をもっ最初期作として、日本彫刻史上画期的な意義をもっ尊像である。」
多宝塔は風雨を避けるため入口がガラスになっているが、寺が準備した眼鏡でガラス越しではあるが像をはっきりと見ることができる。
(画像は、円成寺パンフレットから)

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