2017年8月9日水曜日

フーバー大統領『裏切られた自由』での、中国と朝鮮、『フーバー大統領回顧録』紹介(3)

フーバー大統領の『裏切られた自由』には、中国と朝鮮に関する興味深い記述がある。藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』(2016年1月刊)と、渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』(2017年7月刊)によって紹介しておこう。

これまでの3回のブログでまとめたように、ルーズベルトのアメリカはスターリンのソ連との事実上の同盟関係にあったが、中国においては国共合作を受け入れた蒋介石との協力関係を深めることで、間接的に中国共産党を支援した。ルーズベルトによる共産主義体制との連携と協調は、世界的な規模で進められたのである。それは、日本撤退の後、弱体化した蒋介石政権に代わって中国共産党が全中国を支配する道を開いた。

フーバーは、『裏切られた自由』のDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years”で、中国について次のように述べている。
「トルーマン、マーシャルとアチソンが中国に関して、政治の大道を見失ったのが第一八番目の誤ちである。ルーズベルトは、蒋介石が共産党と協力することにこだわって、中国に関する裏切りの秘密協定がヤルタでできた。その結果モンゴルと、事実上満州をロシアに手渡すことになった。トルーマンは全中国を共産主義者の手に委ねてしまった。それはトルーマンの左翼の側近の根強い影響の為である。・・・
そしてとどのつまりは、四億五〇〇〇万ものアジアの人々を、モスクワ傘下の共産主義の傀儡政権の手に委ねる事になってしまった。」(藤井厳喜他:128-9, フーバー:882)

また、フーバーは以前訪問した朝鮮について、Section III The Case History of Korea, Introductionで以下のように述べている。戦後七〇年経っても、学術的な意義のある論証や論争を抜きにして、韓国は日本の統治に批判を続けている。しかし、この文書からも、イザベラ・バードやエッカートが紹介した事実を改めて確認できるだろう。

「当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。山にはほとんど木がなかった。盗賊が跋扈し、秩序はなかった。
日本の支配による三五年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionalized)。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は、禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。」(渡辺惣樹:170, フーバー:737)

以上のように、『裏切られた自由』は第2次世界大戦の前後の時期についての様々な事実を明らかにしている。これを機会に、ぜひ『裏切られた自由』そのものの検討へと進んでいただきたいと思う。

『裏切られた自由』についての私の冒頭のブログ
第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る (2017.8.6)

戦前の朝鮮に関する記事については、以下の私のブログもご参照ください。
イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (2)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours (2013.9.1)
イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (1)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours (2013.9.1)
その時期での日本の経済的な影響については、以下の私のブログもご参照ください。
エッカート『日本帝国の申し子』、Carter J. Eckert, Offspring of Empire (2014.1.4)

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2017年8月8日火曜日

渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』、『フーバー大統領回顧録』紹介(2)

『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』(Freedom Betrayed)を紹介した第2の書籍は、『裏切られた自由』の翻訳者である渡辺惣樹氏の『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』(2017年7月刊)である。同書は基本的に『裏切られた自由』の順序に沿って論じている。

目次は次の通り。
一章 ハーバート・フーバーの生い立ち、
二章 『裏切られた自由」を読み解く その一:共産主義の拡散とヨーロッパ大陸の情勢、
三章 『裏切られた自由』を読み解く その二:チェンバレンの「世紀の過ち」とルーズベルトの干渉、
四章 『裏切られた自由」を読み解く その三:ルーズベルトの戦争準備、
五章 連合国首脳は何を協議したのか

以下では、主にフーバー大統領の重要な主張を、章の順序にそって紹介していきたい。この書で、渡辺氏は『裏切られた自由』を詳しく紹介するとともに、ハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任』などの関連する重要な文献を紹介している。これらにも注目していただきたい。

二章 
フーバーの基本的な立場
「(ナチス体制を嫌うアメリカ国民は、民主主義国に同情するだろうが)アメリカはヨーロッパの問題を解決できないことを肝に銘ずるべきだ。我が国ができることは、あくまで局外にいて、アメリカの活力と軍事力を温存することである。その力を必ずや訪れるはずの和平の時期に使うべきである。それこそが我が国の世界への貢献のあり方である」(W:44, 107, Editor's Introduction:xxxii)
フーバーは、ルーズベルトの失敗の始まりは共産国家ソビエトの承認であったとしている。この政策の採用には、大統領の周辺と政府組織に入った多くの共産主義者やその同調者が大きな影響を与えているという。

四章
武器貸与法と戦争準備
この法律(武器貸与法、1941年3月)で大統領は開戦権限まで持つことになり、議会は追認するだけの機関になり下がる。このままでは我が国そのものが国家社会主義国家に変貌し、ルーズベルト自身が独裁者となる。」(W:120, Editor's Introduction:l、Wは渡辺氏の著作でのページ数、Hは”Freedom Betrayed”でのページ数、以下同じ)
この法律によって、アメリカはソ連に対しイギリスに次ぐ額の武器を支援した。
「国民も議会も我が国の参戦に強く反対であった。したがって大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国に対する明白な反米行為(some overt act against us)だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。」(W:129, H:247)
こうして、着々と日独に対する戦争の準備が進められた。

日米開戦への最終局面での交渉と、フーバーの和平への期待
駐日大使グルーの本省宛ての報告書を、フーバーは詳しく紹介している。「(近衛首相は)現今の日本の国内情勢を鑑みれば、大統領との会談を一刻の遅滞もなく、できるだけ早い時期に実現したいと考えています。近衛首相は、両国間のすべての懸案は、その会談で両者が満足できる処理が可能になるとの強い信念を持っています。」(W:139, H:271)
結局ルーズベルトは会談に応じず、近衛首相は失脚した。
近衛の失脚は二十世紀最大の悲劇の一つとなった。彼が日本の軍国主義者の動きを何とか牽制しようとしていたことは賞賛に値する。彼は何とか和平を実現したいと願い、そのためには自身の命を犠牲にすることも厭わなかったのである。」(W:143, H:277)

五章
ヤルタ会談と秘密協定、原爆投下について、ルーズベルト批判
フーバーは、ニューヨーク・ワールド・テレグラフ紙を引用した。「合衆国はジャップとの戦いに参加させるために、ロシアを賄賂(領土上の不当な要求:新保補足)で釣るようなことをしてしまった。まったく不要なことであった。こんな意味のない賄賂が、これまでにあっただろうか」(W:201, H:693)
この賄賂がロシアの軍事的進出を促し、今なお日本を苦しめている。
「アメリカ人の多くが、この発表がポツダム会談の三カ月前になされていれば、数千のアメリカ兵の命が救われていたと思っている。また数千もの女性や子供あるいは民間人を殺戮した爆弾も投下されなかったと考えるのである。」(W:212, H:565)
前のブログで紹介した、藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』が紹介したように、フーバーは別の箇所で原爆の投下に明確に反対している。

なお、"Freedom Betrayed"のDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years” 1953, pp.875-883については渡辺氏の著作では取り上げられていない。藤井厳喜他と以下の私のブログを参照していただきたい。

<関連するブログ>
第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る (2017.8.6)
藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』、『フーバー大統領回顧録』紹介(1) (2017.8.7)

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2017年8月7日月曜日

藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か』、『フーバー大統領回顧録』紹介(1)

『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』(Freedom Betrayed)を紹介した書籍は、現在2つある。このブログと次のブログで順に紹介したい。
まず、藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道著、 加瀬英明序『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』(勉誠出版、2016年1月刊)である。

目次は以下の通りである。
序 加瀬英明
鼎談 "FREEDOM BETRAYED" をめぐって 藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道
 第一章 誰が戦争を仕掛けたのか
 第二章 過ったアメリカの政策
 第三章 戦争を引き起こした狂気
ウェデマイヤー将軍の回想ー第二次大戦に勝者なし 藤井厳喜
いま明らかになった大東亜戦争の真相 稲村公望
日米戦争は狂人の欲望から 茂木弘道

上記書第二章に、"Freedom Betrayed" (フーバー回顧録)の、ある意味で要約ともなっているDOCUMENT 18 "A Review of Lost Statesmanship--19 Times in 7 Years” 1953, pp.875-883の詳しい紹介がある。内容は以下の通りである。赤字の箇所は、日本と特に関係が深い箇所である。

失われた手腕(「誤り」:藤井氏の訳)
1 一九三三年の国際経済会議の失敗、2 ソ連承認、3 ミュンヘン融和の成功と失敗、
4 英仏の『ポーランドとルーマニア』への独立保証、5 アメリカの宣戦布告なき戦争、
6 警戒心を持った忍耐政策を取らなかった、7 ソ連共産主義を助けた事、
8 一九四一年七月の日本への経済制裁、9 一九四一年九月近衛和平提案を拒絶した事、
10 日本との三ヶ月の冷却期間を拒絶した事、11 無条件降伏の要求、
12 一九四三年一〇月のバルト三国とポーランド東部のソ連への譲渡、
13 一九四三年一二月、七つの国家にソ連の傀儡政権の押し付けを認めてしまった事、
14 ヤルタの秘密協定、15 一九四五年五月~七月日本の和平提案を拒否したこと、
16 トルーマンのポツダムでの決断、17 原爆投下、
18 毛沢東に中国を与えたこと、19 戦後世界に共産主義の種を撒いてしまった事、
(藤井厳喜他, pp.69-135、以下も同様、なお上記のタイトルは、原書タイトルより説明的に追記されている)

上の赤字の項目について、フーバーの主張を詳しく見てみよう。
8 「その経済制裁(1941年7月の日本に対する:新保注)は、弾こそ射って射なかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」
9 「皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題(満州の返還)をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう」
10 「スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして我々は真珠湾で負けたのだ。」
11 「無条件降伏の要求は、敵国の軍国主義者や扇動者に利用され、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。」

14 「スターリンが一二の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけではなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす、悪しき勢力の動きを助長するような秘密の協定が多数結ばれた。
15 「日本との和平はただひとつの譲歩で連成できた。それは天皇の地位の保全である。・・・。米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。」
16 「アメリカの経験ある多くの専門家が勧告した、天皇を維持することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したのである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、最後になって、この条件が受け入れられた」
17 「・・・トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を下したことである。日本は繰り返して平和を求めていたにもかかわらず。これはアメリカの全ての歴史のなかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。これはアメリ力の良心に対して、永久に重くのしかかるであろう

これらの文面から、フーバーは日米間の和平の動きを支持し、開戦の動きを止めようとしたことがわかる。また、一旦戦争が始まると、それが早期の講和に繋がるように期待していたと言えるだろう。

では、以上からもわかるフーバー大統領の基本的な考えはどのようなものだったろうか?まず何よりも共産主義への一貫した厳しい批判である。その批判は、ルーズベルトのソ連の承認に始まり、戦後処理のすべての過程に亘っていた。その批判は、ルーズベルトの政策が、戦後の共産主義体制の拡大、東西冷戦をもたらしたことにも向けられていた。
フーバーはまた、ルーズベルトのニューディール政策が十分な成果を挙げておらず、それに代わって経済のより早い回復のため戦争の開始をめざすようになったと考えている。
しかし、フーバーは、ルーズベルトの考えが、アメリカ国外での戦争、紛争への不干渉という、アメリカの伝統的な政策とも相容れないと見なしていた。

『裏切られた自由』は、日本などの戦争責任のみを一方的に断罪する第2次世界大戦に対する伝統的な見方に根本的な見直しをせまるものである。藤井厳喜氏らの『日米戦争を起こしたのは誰か』はその紹介とともに、独立した論文「ウェデマイヤー将軍の回想ー第二次大戦に勝者なし」の紹介などもあり、より幅広い検討が可能になっている。

多くの方が、まずこの書籍とともに、次回のブログで取り上げる渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』も読んでいただき、膨大な『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』にまで読み進んでいただきたいと思う。

前回のブログ:第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る

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2017年8月6日日曜日

第2次世界大戦を見直す大著『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』邦訳刊行迫る

長らく待たれていた『裏切られた自由(フーバー大統領回顧録)』の翻訳が刊行される予定である。上下2巻で上巻は7月13日刊行済み。(Freedom Betrayed: Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath, Edited with an introduction by George H. Nash, Hoover Institution Press, 2011, Pages: 1,080)

ハーバート・クラーク・フーバー(Herbert Clark Hoover, 1874-1964)は、アメリカ合衆国第31代大統領(1929-33)である。大統領在任最初の年に有名な世界大恐慌がアメリカと世界を襲い、その勃発と長期化を防げなかった政治的な責任に対する批判によって、フーバー大統領の評価は高くなかった。
しかし、彼が大統領になるまでの企業家や政治家としての実績、アメリカ的な理念に基づく大統領職務の遂行だけではなく、本書に見られるような膨大な資料の収集とその緻密な検討によって、従来の第2次世界大戦観を見直そうとした彼の業績が改めて見直されようとしている。

次回のブログから2回に分けて、藤井厳喜他『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず(2016年1月刊)と、渡辺惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く(2017年7月刊)によって、"Freedom Betrayed"を読み解いていきたい。

フーバー大統領の基本的な考えは、何よりも共産主義への一貫した厳しい批判である。その批判は、ルーズベルトによるソ連の承認に始まり、ソ連との同盟による戦争準備、終戦処理でのソ連への大幅な譲歩などのすべての過程に向けられていた。それは同時に、そのルーズベルトの政策が、戦後の共産主義体制の拡大、東西冷戦をもたらしたことにも向けられていた。
スターリン支配下のソ連と各国での共産主義運動との対決を念頭に、フーバーは日本に対しては日米開戦の回避、開戦後は速やかな講和を求めていた。その意味で、日本人にとって第2次世界大戦を根本的に見直すための不可欠な文献である。

今、冷戦時とは状況がやや異なるとは言え、共産党一党独裁を強める中国の軍事的海外進出や、国内の民主化運動への弾圧、北朝鮮の度重なる軍事的挑発、ソ連崩壊後のロシアの軍事的海外進出は、冷戦時に匹敵する世界的な混乱と危機を生み出している。
これらの事態に対しどう対処すべきかについても、この書籍は私達に重要な示唆を与えてくれる。

まず、"Freedom Betrayed"の構成は、以下の通りである。
VOLUME I
I A Great Intellectual and Moral Plague Comes to Free Men, II I Make an Appraisal of the Forces Moving among Nations in 1938, III A Revolution in American Foreign Policies, IV 1939: In Europe, a Year of Monstrous Evils for Mankind, V The Communist-Nazi Conquest of Europe, VI More American Action-Stronger Than Words-but Less Than War, VII Brainwashing the American People, VIII The Revolution in American Foreign Policies Continued, IX The Opportunity to Make Lasting Peace Comes to Franklin Roosevelt, X The Road to War
VOLUME II
XI The March of Conferences, XII The March of Conferences, XIII The March of ConferencesーThe Tehran-Cairo Conferences November-December 1943, XIV The March of Conferences, XV The March of ConferencesーThe Yalta Conference: February 4-11, 1945, XVI The Rise, Decline and Fall of the Atlantic Charter, XVII The First Days of the Truman Administration, XVIII The March of Conferences-The Potsdam Conference and After
VOLUME III: Case Histories
I A Step-by-Step History of Poland, II The Decline and Fall of Free China-A Case History, III The Case History of Korea, IV Vengeance Comes to Germany
APPENDIX 
Selected Documents Pertaining to Freedom Betrayed 
About the Author and the Editor
Index

第2次世界大戦について見直すためには、『第二次世界大戦に勝者無しーウェデマイヤー回想録』やハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任 -大統領が最も恐れた男の証言』などは、本書ともに必読の文献である。ウェデマイヤーとフィッシュの文献については、すでに私の以下のブログで紹介した。これらの著作をあわせ読めば、ルーズベルトによる共産主義体制との妥協を基本とする外交政策は、アメリカ国内で幅広く批判されていたことが理解できる。

ハミルトン・フィッシュ(Fish, Hamilton)の『ルーズベルトの開戦責任』 (2015.7.17)
第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー(Wedemeyer,Albert C.)回想録 (2015.7.21)

『裏切られた自由』(上)の出版社草思社のwebsite
草思社のブログでの同書の紹介

2017年7月24日月曜日

劉暁波の死を悼む

中国の民主化をめざして活動してきた劉暁波氏が、肝臓がんのため、7月13日中国遼寧省瀋陽の病院で亡くなった。服役中に患ったがんの治療を国外でという本人と家族の希望を、中国政府は受け入れなかった。

氏の死を悼む行動や出版は、残念ながら決して多くはなかった。出版としては、ニューズウィーク日本版(7月25日号)がSpecial Reportを掲載し、「彼の早過ぎる死に中国政府は重大な責任を負う」と書いた。

劉暁波氏の構想は、彼の著書「天安門事件から「08憲章」へ」によく表れている。私は私のブログ「決して忘れてはならない天安門事件と08憲章、Tiananmen Square protests of 1989 and Língbā Xiànzhāng」(2015年6月1日(月曜日))で詳しく紹介した。

改めて以下に目次を示すので、ぜひ多くの方が読んでいただきたいと思う。
以下は、08憲章の概要である。(同書、209-227ページ)
「一 前書
二、我々の基本理念
 中国の未来の運命を決定するこの歴史の岐路に立ち、百年来の近代化の歩みを省みて、下記の基本理念を再び言明する必要がある。
 自由、人権、平等、共和、民主、憲政
三、我々の基本的主張
 これにより、我々は、責任を担う建設的な公民の精神に基づいて、国家の政治制度、公民の権利と社会発展の各方面について、以下の具体的な主張を提起するものである。
 1、憲法改正、2、分権の抑制的均衡、3、立法による民主、4、司法の独立、5、公器の公用、6、人権の保障、7、公職の選挙、8、都市と農村の平等、9、結社の自由、10、集会の自由、11、言論の自由、12、宗教の自由、13、公民教育、14、財産の保護、15、財税改革、16、社会保障、17、環境保護、18、連邦共和、19、正義の転換
四、結語」

重要なのは、最後に「署名規則」があり、「一 本憲章は公開署名とする。二 本名または常用のペンネームで署名し、所在地と職業を明記されたい。」と記述されたことであり、署名者は303名(第一次)となっていた。

憲章が公表されてほぼ10年が経過したが、中国の民主化をめぐる状況はいっそう悪くなっている。中国国内での民主化運動に対する徹底的な弾圧、インターネットの管理と統制はさらに強まり、対外的には南シナ海などのへ海洋進出、香港の一国二制度の形骸化、台湾の外交活動への妨害、日本への挑発的な軍事行動、などである。
こうした行動を支えているのは、中国経済の発展である。中国経済の影響力は、内部に深刻な問題を抱えながらも拡大している。中国経済に依存が深まっている日本や、ヨーロッパ諸国が、民主化運動を弾圧する中国政府に批判を抑制している。

しかし、民主化運動への弾圧と独裁政治はいつまでも続けることはできない。弾圧を続ける過程で、政治的な支配層や有力な企業に腐敗や不正が拡大し続けるからである。経済成長の鈍化、格差の拡大とともに、民主化への移行が現実となるだろう。そのときに再び劉暁波氏の遺産が再び脚光を浴びるに違いない。

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2017年7月12日水曜日

アジア企業の最新ランキング:インド・台湾企業の躍進

 日本経済新聞社は、2017年6月にアジア企業の最新のランキングを発表した。「Asia300」の327社を対象に成長力(2016年度までの5年間の売上高と純利益の平均増減率)、収益性(16年度の売上高純利益率)、資本効率(同自己資本利益率=ROE)、安全性(同自己資本比率)を独自に点数化し、総合的に優れた企業をランキングしている。最上位のLargan Precisionを100とし、各企業はそれに対する比率で表されている。
 この調査について、私は論文「アジア企業の最新ランキングとインド企業の躍進」で詳しく検討した。以下はその簡略版である。
 表1(簡略版)は、上位15社と上記の経営指標、筆頭株主を示している。ここで注目すべきなのは、15社のうちインド企業が5社、台湾が4社となっていること、インド企業は情報技術で優位に、台湾企業はTSMCやLARGAN Precisionだけでなく多様な企業を含むことである。
 ところで、アジア企業には政府系企業(背景が緑色)、外国企業系企業(オレンジ色)、財閥系企業(青色)が有力であると見られてきたが、中国などを除けば次第に後退していることもわかる。


  上記論文では、アジア企業で最も注目されているインド企業についても詳しく検討している。表4(簡略版)はアジア企業と同じ指数に基づくインド企業上位10社を示している。上位5社については表1で示した。6位以下では、LupinなどのPharmaceuticalsの企業や、日本のスズキの子会社Maruti Suzukiなどの活躍が注目される。






輸出志向工業化の開始以降続いてきたアジア企業の躍進は、またひとつ新たな段階を迎えようとしている。先行したアジアNIES、ASEAN、中国などを追跡してきたインド企業が、新たなIoT(Internet of Things)革命の進化の過程で新しいけん引役となっている。インド企業は経営効率の面でアジア企業の最先端を走っているだけではなく、市場と幅広い株主を基盤にした企業の発展もけん引している。
 詳しくは、上記の私の論文を参照していただけましたら幸いです。

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2017年6月19日月曜日

奈良の円成寺、Enjyouji in Nara

奈良駅からバスで約30分、柳生への途中にある円成寺(本ブログタイトルの英語表記はweb addressから採った)を初めて訪れた。
一部の旅行案内にはあるが、交通の便があまり良くないにも関わらず、かなりの人が訪れている。柳生への行き帰りに立ち寄っている人が多いのだろうか。
ちょうど青紅葉の季節でもあり、まず入口の美しさに期待が膨らんだ。

門をくぐってすぐに、広大な庭園に驚く。手入れも隅々までとても行き届いていて、期待通りの美しい庭園だった。
「平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した寝殿造系庭園に類似し、寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。」(円成寺HPから)

本堂に入るとこれまで見たことも無いような極彩色の柱に囲まれた内陣がある。下に見るように、今でもその色は確認できる。

やはりHPによれば、「本堂内陣母屋四本柱には、本尊阿弥陀如来に従うように観音菩薩、勢至菩薩をはじめ、様々な楽器を演奏し舞い踊る諸菩薩が極彩色で描かれています。」
(円成寺のパンフレットは白黒なので、左の写真は『関西の寺あそび』(京阪神エルマガジン社、2017年、p.94-5)を利用した。)

柱絵の主な部分を拡大したのが、次の画像である。このようにあでやかな衣装から独特な楽器に至るまでの絵が四本の柱いっぱいに豪華に描かれている。
本尊や柱絵の諸菩薩、さらには本尊を守っている四天王像のすべてが原色のままであったなら、さぞかしまばゆいばかりの極楽浄土を再現することができただろう。
(画像は、円成寺パンフレットから)


以上は本堂であるが、左の写真は、平成に入って再建された多宝塔の本尊である大日如来坐像である。

運慶の20代歳代の作品とみなされている。像は穏やかながら若々しい表情で描かれているように思われる。
寺のパンフレットによれば、「唯一の自筆の墨書銘をもっ最初期作として、日本彫刻史上画期的な意義をもっ尊像である。」
多宝塔は風雨を避けるため入口がガラスになっているが、寺が準備した眼鏡でガラス越しではあるが像をはっきりと見ることができる。
(画像は、円成寺パンフレットから)

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2017年5月25日木曜日

新緑の秋篠寺再訪、Akishino-dera in Nara

キーワード(Key Words): 秋篠寺(Akishino-dera),  伝伎芸天立像(Gigeiten-ryuzo), 十二神将像(Juni Shinsho-zo)

新緑の秋篠寺を訪れた。近鉄大和西大寺駅から歩いて10分あまりで行ける。
久しぶりに行ってみたが、寺全体がとても美しくなり、新しいパンフレットも刊行されたので、このブログでぜひ紹介したい。(2016年9月刊行, 全35ページ)
左に掲げたパンフレットの表紙はちょうど今頃の写真で、青紅葉が美しい。もちろん秋の紅葉の時期も美しいことが十分に想像される。
また寺には苔が生い茂っている庭があり、それをぐるりとまわって本堂に行くことになる。

奈良市観光協会によれば、「奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。
平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっています。」



秋篠寺の最も有名な仏像は、伝伎芸天立像(重文)である。頭部は奈良時代末期に、体部は鎌倉時代に作られたと言われる。
「伎芸天が本来の尊名であったか否かは定かではないが、美しく静かに動くしなやかな肢体や、あたかも天上界の歌が聞こえるような口元や表情などからは、この尊名がまことに相応しい。」(上記パンフレット, p.21)

像からは、頭部を中心にかなりはっきりと鮮やかな朱色が読み取れる。衣からは緑色もかすかに見える。
近づいて見てみよう。顔を少し傾け、じっと目を閉じ、わずかに口を開けて、静かに祈っているのか、あるいは歌っているのだろうか。

もうひとつ注目したい像を紹介したい。十二神将像である。この像は、「本尊薬師三尊像の両側に六躯ずつ二列の階段状に安置されている」(p.12)

「十二神将は薬師如来とその信者たちの守護神で、昔、釈迦と同様に印度の王子として生まれた薬師は、衆生の苦しみを救うために出家。苦行中に十二の大誓願を立て、やがて大願成就して東方薬師浄瑠璃浄土の教主となるが、この十二の誓願を守護するために現われた十二の夜叉大将が十二神将である。」(p.12)

秋篠寺の十二神将像は、精微に彫刻されているだけではなく、彩色の保存状態が良く、ある程度元の像を想像できる。

何よりも注目したいのは、それぞれの像のポーズと表情がとても変化に富んでいることである。十二神将像は、同じ奈良の新薬師寺にもあり、その方が有名であるが、私は柔らかな身のこなしと独特な表情の左の写真の二像を含む、秋篠寺の十二神将像が興味深く思える。
ぜひ比べていただきたい。

これらの像を原色で見ることが出来れば、さぞかし堂内では豪華絢爛で荘厳な雰囲気を味わえるだろう。

秋篠寺も先に紹介した新薬師寺も、奈良の中心部からはやや離れているせいだろうか、観光客は未だ多いとは言えない。東大寺、薬師寺、唐招提寺とともにぜひ訪れていただきたいお寺である。

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2017年5月4日木曜日

高木宏之氏の満洲鉄道写真三部作(2)

前回のブログ「高木宏之氏の満洲鉄道写真三部作(1)」に続いて、同(2)では、満洲に建設された重要な企業や施設とその建物、そして満洲から周辺の国・地域に波及した鉄道の写真を紹介したい。このような掲載写真の幅広さが三部作のもうひとつの重要な特徴である。

写真6 (Aより)
写真6:満洲中央銀行総行
満洲では第1次世界大戦後、リットン調査団も認めるほど、多くの通貨が乱立しその価値が低落していた。満洲中央銀行は、幣制を統一するために、旧通貨の整理回収と新通貨としての国幣の価値安定のために、1932年に設立された。価値安定のために、それを、当初は中国と満洲でなじみが深い銀にリンクする管理通貨とした。
(写真番号の後ろのABCは前回ブログに示した文献番号)

写真7 (Cより)
写真7:.飛行機上より鳥瞰した東洋一を誇る大連満鉄医院及その附近
「満鉄は創業とともに、関東都督府・居留民会・野戦鉄道提理部より合計13の病院を引き継いで整理統合し、大連に本院を置いた。1909年、「病院」を中国風に「医院」と改名し、一般住民にも診療対象を広げた。」

以下では、満洲で築かれた鉄道事業が、中国や朝鮮にどのように広がったのかを示す貴重な写真を紹介したい。

写真8 (Bより)
写真8:華北交通パシロ1546(1941年川崎製)
「華北地方の中国鉄道は、1937年の支那事変にともなって日本陸軍鉄道連隊の占領下におかれ、満鉄による管理・整備をへて、1939年4月に発足した日中合弁の華北交通株式会社に移管統合された。」

後に、中部中国にも、同じ日中合弁の鉄道会社として、華中鉄道も創設された。当時、日本企業が進出した海外での企業は、ほとんどが現地との合弁であった。

写真9 (Bより)
写真9:京義線土城駅に進入するパシシ形976(1934年川崎製)
「1937年8月、京義線土城駅(京城起点82.5km)に進入するパシシ形976(1934年川崎製)牽引の上り旅客列車。」

朝鮮では、朝鮮総督府鉄道とともに、朝鮮鉄道、朝鮮京南鉄道、平北鉄道などの民間企業が活動していたが、朝鮮鉄道を除いて比較的小規模であった。

写真10 (Cより)
写真10:鴨緑江大鉄橋
「1911年11月1目、安奉線全線が標軌で開通し、翌日、満鉄・鮮鉄(朝鮮総督府鉄道)直通運転開始・・・。鴨緑江橋梁は韓国統監府(併合後は朝鮮総督府)が新義州~安東聞に巨費を投じて架設した、全長3,098フィート(944m)の大鉄橋で・・・、東洋初の旋回式鉄道橋であった。」

ここでも日本は最新の技術を投入していた。この鉄橋によって、日本と朝鮮・満州間の物や人の流れはいちだんと活発になった。

鉄道は戦間期の最も重要なインフラストラクチャであり、それが満洲や朝鮮の経済発展の重要な基盤となった。鉄道の建設と経営に日本と日本企業の果たした役割は非常に大きかった。詳しくは、私の前掲書Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionもご覧ください。
高木宏之氏の三部作は、以上の事実を理解するのにとても貴重な資料となっている。ブログではわずかに10枚しか紹介できなかったので、ぜひとも三部作を手にとってご覧いただきたい。

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高木宏之氏の満洲鉄道写真三部作(1)

高木宏之氏は最近満洲の鉄道写真に関する三部作を公刊されている。三部作は多数の貴重な写真を掲載しているので、以下で2回に分けてその一部を紹介したい。ぜひ多くの人が読まれることをお薦めしたい。
この三部作で最も重要なのは、南満洲鉄道である。南満洲鉄道は戦間期日本で最大の企業であり、日本の海外進出企業でも最大の企業であった。その活動は、日本と満洲の経済発展に大きく貢献した。
私は南満洲鉄道について、Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionなど通じて検討してきたが、これらの研究とともに、写真や絵葉書などによる視覚的資料によって理解するのもとても良い方法のように思われる。

まず、三部作の目次の紹介である。
写真1 (Aより)
写真で行く満洲鉄道の旅(A)
第一部 満鉄本線の旅・大連~長春(新京)間、第二部 満洲国鉄の旅
第三部 東清(中東/北満)鉄路の旅、第四部 満鉄安奉線の旅・奉天~安東間
コラム 満洲の公共建築
高木宏之、潮書房光人社、2013年
(写真を見ていただく際のご注意:写真が原本の2ページにわたっている場合があります、以下でも同じ)

写真2 (Bより)
満洲鉄道写真集(大型本)(B)
第1部 SMR “Rolling Stock” Album、第2部 「あじあ」興隆の時代
第3部 日満の架け橋・鮮鉄
高木宏之、潮書房光人社、2012年

写真に見る満洲鉄道(C)
第1部 満鉄の車両と路線、第2部 鉄道以外の満鉄の事業
(付)独立守備隊
高木宏之、光人社、2010年

以下では、私なりに順序を変えて三部作の最も興味深い写真を紹介したい。第1回は南満洲鉄道関連の5枚である。
写真1奉天駅のあじあ号
「奉天より内地宛に投函された絵葉書で、・・・画像は奉天駅第一ホームに到着したハルピン発上り12レ「あじあ」、牽引機はパシナ9(もと978、1934年川崎車両製)・・・。・・・撮影時期は機関車が改番後の1938~39年と思われる。」(「・・・」は三部作中の説明である)

あじあ号は南満洲鉄道が誇る特急であった。1934年には、あじあ号が、大連~新京間の 704.1kmを、当時の日本としては最速の最高時速120km/h(時には170km/hを記録)で走破した。なお、あじあ号の背景にある奉天駅にも注目したい。

写真2パシナ形のラストナンバー981
「パシナ形は合計12両で、970~ 972が1934年沙河口工場製、973~ 980が同年川崎製、981が1936年川崎製であった。981は他の11両と前頭形状が異なり、川西航空機における風洞実験にもとづく傾斜円筒面で、「ヘルメット形」と称された。」

写真3 (Aより)
写真3:あじあの豪華なる食堂車 
あじあ号の客車は二重窓、空調完備で、写真は食堂車である。人々の表情から豊かな食事を静かに満喫していることが読み取れる。

写真4:沙河口汽車工場の壮観
写真4(Cより)
「1929年頃の機関車職場内部の状況・・・。なお、1929年時点での同工場の年間製造能力は、機関車24両・客車48両・貨車600両、年間修繕能力は機関車240両・客車360両・貨車2.400両、従業員は日本人約1,200名・中国人約1,300名であった。」

現代では直接投資による現地生産を行うことは一般的であるが、南満洲鉄道はすでにこの時代に、日中協力して最先端の鉄道を現地生産していた。

写真5 (Cより)
写真5満鉄直営大連ヤマトホテル
「新築の大連ヤマトホテルは、新市街の中央大広場に面した一等地に1909年6月に起工され、1914年3月に竣工した。建屋はネオ・ルネサンス様式による鉄骨レンガ・石材混造4階建で、正面にイオニア式の円柱8本を配した本絡的な西欧建築であった。絵葉書は1930年頃の撮影と思わ(れる)」

南満洲鉄道の事業は多角的に行われていた。傘下には、昭和製鋼所、満州化学工業、満州炭鉱、大連汽船、満州電業、南満州ガスなどの多彩な企業があり、そのうちのひとつがホテル経営であった。

高木宏之氏の三部作は上記のように、ひとつひとつの写真に詳しい注記があり、はじめてこれらに接する人々にも良く理解できるようになっている。これもまた三部作の重要な特徴となっている。

2017年4月16日日曜日

トランプ大統領登場の背景(4)堀内一史『アメリカと宗教』を読む

キーワード(Key Words): 宗教右派(the religious right)、福音派(evangelicals)、モラル・マジョリティ(the Moral Majority)、バイブルベルト(Bible Belt)、サンベルト(the Sunbelt)

先に紹介した飯山雅史『アメリカの宗教右派』とあわせて、堀内一史『アメリカと宗教 保守化と政治化のゆくえ』(中公新書、2010年)についても紹介したい。
目次は以下の通りである。
序 アメリカ宗教概観、I 近代主義と原理主義の闘い、
II 宗教保守化の背景、III 主流派とリベラリズムの隆盛、
IV 原理主義・福音派の分裂、V 政治的保守の巻き返し、
VI 宗教右派の誕生、VII 大統領レーガンと宗教右派の隆盛、
VIII 共和党プッシュ政権と宗教右派の結集、
IX オバマ政権と宗教左派。

南部バプテスト連合信徒の分布図(p.62)
第II章では、「宗教保守化の背景 南部福音派のカリフォルニア流入」が主題となる。
著者は、南部福音派を次のように定義し、そのうち南部バプテスト連合信徒の分布図を左の図で紹介している。

「南部福音派とは何か」では、「南部バプテスト連合は、現在では人口比で六・七%を占め一六二〇万人を超える信徒数を有するプロテスタントでは最大規模の教派である。聖書の無謬性を中心とする原理主義的な信仰を特徴とする。この南部バプテスト連合のほかに、チャーチ・オブ・ゴッドなどの南部を中心に分布している諸教派に属する福音派は、一般に「南部福音派」と呼ばれる。」(p.63-4)

著者は、南部福音派の人口移動が、その影響力の拡大をもたらしていることを特に重視している。移動した地域は、サンベルトと呼ばれるバージニア州南部とカリフォルニア州中部を結ぶ線以南に位置する合衆国南部,西南部の地域を指し、文字どおり陽光のまぶしい,一年中温暖な地域で、新たな産業が発展している地域である。この人口移動によって、サンベルトのバイブルベルト化が生じているという。

「宗教右派」の誕生とモラル・マジョリティの結成について、著者は次のように説明する。
ニューライト(政治家グループ)の活動家やファルウェル(テレビ伝道師)らは協力し、「保守的な福音派を動員し彼らの価値観や世界観を政治に積極的に反映させようとする利益集団を設立して展開する宗教・政治運動「宗教右派」(=「キリスト教右派」)の構想が誕生する。」(p.175)
「ファルウェルはモラル・マジョリティの目的を、生命を尊び、家族の価値を重視し、道徳を尊重し、アメリカを最優先することとした。」(p.177)

このようにして、白人福音派が次第に政治に影響力を拡大していく。右の図(p.244)は白人福音派が共和党を支持し、共和党を通じて影響力を拡大していく様子を示している。

ところで、この著作においても今後の見通しでは、最終章の「宗教右派の衰退、若年層の敬遠、福音派の変容ー新世代の登場、中間主義的福音派、宗教左派」などの見出しに示されているように、オバマ政権誕生とともに流れが変わりつつあるという評価になっている。
しかし、その後オバマ政権の政策と対立するトランプ大統領が登場し、共和党の力が議会で増大して、2010年刊行の本書が予想したのとは異なった結果がもたらされている。

本書と『アメリカの宗教右派』の予測が短期的にみれば適切では無かったとは言え、『アメリカと宗教』と『アメリカの宗教右派』の両著を通じて、日本では十分に知られていない宗教右派そのものとその政治への影響を理解することは、ますます重要になることは間違いない。両著をともに読まれることをお薦めしたい。

また、トランプ大統領の支持基盤が宗教右派や福音派とどのような関係にあったのかについての、具体的で詳細な調査と研究が今後登場することを期待したい。

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トランプ大統領登場の背景(3)飯山雅史『アメリカの宗教右派』を読む

キーワード(Key Words): 宗教右派(the religious right)、福音派(evangelicals)、モラル・マジョリティ(the Moral Majority)、ポピュリズム(populism)

トランプ大統領の登場と、アメリカ政治における「保守化」の進行は、アメリカの宗教の動向までさかのぼらなければ理解できないように思われる。その課題を理解する重要な著作2つを、2回のブログに分けて紹介したい。

まず、飯山雅史『アメリカの宗教右派』(中公新書ラクレ、2008年)である。
目次は以下の通りである。
第1章 プロテスタントとアメリカ、第2章 プロテスタント大分裂、
第3章 リベラルの時代、第4章宗教右派は何を求めているのか、
第5章 宗教右派の勃興とモラル・マジョリティー、
第6章 確立した宗教右派運動とキリスト教連合、
第7章 ブッシュ政権と宗教右派の絶頂期、
第8章 21世紀アメリカの宗教勢力地図、
第9章 宗教右派の停滞と福音派の影響力。

著者はタイトルにもあるキーワードである宗教右派を次のように説明している。
「・・・宗教右派とは、中絶反対などの過激な政治運動をする宗教指導者や団体をまとめて言うための総称だ。・・・一方で、宗教右派の主張に共鳴して、選挙の時には保守的な共和党候補を支援する人たちは宗教保守(層)と呼ぶことにする。」(p.119)

宗教右派の中心である福音派については、次の通りである。
「福音派を探し出すもう一つの方法は、南部バプチスト連盟など、伝統的に福音派とされる教派をリストアップして、そこに所属している信徒を「福音派」と定義することだ。」「・・・特に断らない限り、「福音派」とは、白人福音派のことだ。」(ともにp.175)

上の表(p.176、表の原出所については同書を参照のこと)によれば、白人福音派は少しずつではあるが増大し、全成人人口の24.6%に達している。他方、主流派プロテスタントは1944年の44.4%から2004年の18.7%に激減している。

ところで、福音派は非常に深く政治に関与しつつある。その政治との関係は、右の図(p.177)が示している。近年、福音派での共和党支持は増大している。
同様の趣旨の図は、主流派についてはp.188、カトリックについてはp.192、黒人プロテスタントについてはp.193で示されている。

では、なぜ宗教保守層が影響力を拡大したのだろうか。著者は次のような見解を紹介する。
「(ウィルコックス教授によれば)宗教保守層が膨張した理由は単純で、リベラルの行き過ぎに反発していた国民の数が多かっただけだということだ。
もう一つの分析は、宗教右派運動はポピュリズムの反乱だというものだ。」(p.200)

「そうした”声なき多数派”の反乱は、宗教に限ったものではなかった。少数派積極優遇政策によって「逆差別」を受けたと感じ、”福祉の女王”が自分たちの税金で優雅な生活をしているのではないかと疑う白人中間層には、リベラルの時代に”進歩”とされたもの全般に対して反感を抱く気持ちが広がってきた。」(p.201)

最後に、著者は「こうして、両党(共和・民主、(補足))が福音派へのアピールを競い、新たな政策を打ち出していけば、福音派の関心と政治意識の幅も広がっていくだろう。その相乗効果が、米国政治に、これまでの「保守」と「リベラル」の枠組みを超えた新たな地平を開いていくと期待することは、あまりにも楽観的か、あるいは能天気すぎるだろうか。」(p.243)
この本が出版されたのが2008年、それから10年近くたっているが、事態は新たな地平よりも逆方向に動いていることを示す、トランプ大統領の登場となっている。

しかし、著者の楽観的な見通しが適切ではなかったとは言え、アメリカの宗教右派とその主張などを詳しく取り上げたこの著書の意義は増すばかりである。宗教離れが著しい日本において、最大の同盟国アメリカで起こっている宗教の政治への積極的な参加と劇的な変化を学ぶことは、とても重要な課題となっていると思われる。

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2017年3月21日火曜日

トランプ大統領登場の背景(2)「アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙」を読む(2)

前回のブログに続いて、井田正道「アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙」の最終章である第5章を検討しよう。
第5章は、今回の選挙とトランプ大統領の登場を検討している。
予備選における「性、年齢、教育程度別 トランプ投票者割合表5-3)」と「イデオロギー・最重要イッシュー別トランプ投票者割合表5.5)」の平均値と中央値のみを取り出したのが、左の表である。
性、年齢、教育程度別では、トランプ大統領は、男性、40代後半以降、非大卒に支持が大きいことがわかる。
イデオロギーでは弱い保守に支持があることに注意しておきたい。強い保守であるキリスト教右派からの支持は弱かった。そして支持された最重要イッシューは移民が他を大きく引き離している。

予備選における「年間所得階層別トランプ投票者割合表5.4)」も紹介しておこう。各地で行った投票結果の一覧から、「5万ドル未満」から「10万ドル以上」の所得の投票者の割合を引き、その割合が+あるいはー10%になっている州のみ、表にまとめた。そうすると、上位4州は南SAで、中西部の3州もそれに続いている。マイナスはニューヨークで、他州とは異なって高所得者が支持している。

以上が、トランプ大統領を支えている基盤であると言えるだろう。
著者は、「2016年大統領選は,アメリカの分断状況を再確認させるどころか,亀裂がより深まっていることを印象づけた。もはやアメリカの民主党支持者と共和党支持者との間には,抜き差しならぬ対立状態にあるように見える。そして措抗する支持状況が亀裂をさらに深める作用をしている。」(p.183)と適切にまとめている。

ところで、トランプ大統領の最重要イッシューは移民であったが、今アメリカは大量の移民受け入れから移民制限へ大きく舵を切ろうとしている。アメリカはしばしば移民の国とされているが、同時に移民排斥の国であったことも事実である。日本からの移民が過酷な状況に置かれた時期があったことを忘れてはならない。移民の受け入れと排斥は、経済のグローバル化と保護主義が交互に登場するのと酷似あるいは対応している。
また、トランプ大統領が経営者として巨額の資産家であり、政権には多数の経営者や資産家が参加しているとは言え、その支持基盤に比較的所得階層が低い階層や地域が多いことにも注意しておくべきだろう。それは、民主党内でサンダース旋風が巻き起こったこととも対応している。

最後に、「アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙」は、多くのデータを用いて、今回の大統領選挙の背景と結果を明らかにした重要な文献であり、広く読まれることを、改めて期待したい。しかし、この本での検討は、アメリカ政治の本格的な検討の第一歩である。
トランプ大統領の登場を予見したとする一部のジャーナリストや研究者の調査や報告で検討に値するものはほとんど無い。大統領選挙の本選、同時に行われた議会選挙などを含めた、井田正道氏の研究をさらに詳しくした調査・研究が現れることを期待したい。
今年はヨーロッパで次々と重要な選挙イベントが控えている。それぞれの国でもトランプ的な主張が強くなっているが、その特徴とアメリカとの比較を詳しく調査する報告や研究が現れることもあわせて待ちたい。

このページから先に読まれた方は、ぜひ第5章までを検討した、ひとつ前のブログをあわせてご参照ください。


トランプ大統領登場の背景(1)「アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙」を読む(1)

トランプ大統領登場の背景を探ることは現在のとても重要な課題である。このテーマに迫った本が出版された。井田正道「アメリカ分裂―数字から読みとく大統領選挙」(明治大学出版会、2017年)である。
まず、目次は以下の通りである。
序章 アメリカの政治制度
第1章 ”合州国”を分解する
第2章 揺らぐ?共和党の牙城ー南部政治の展開ー
第3章 存在感を増すマイノリティ集団ーヒスパニックの動向ー
第4章 苦しみながらもオバマ再選ー2012年選挙ー
第5章 アメリカ分裂を印象づけた2016年選挙

トランプ大統領の登場は、マスコミや調査機関、多くの研究者の予想を覆すものだった。しかし、マスコミや調査機関はその判断のどこに誤りがあったのか未だに十分な検討は行っていないように思える。このような事態を前に、トランプ大統領の登場を、出来るだけ具体的な数字で明らかにしていこうというのが、本書のねらいである。

このブログでは、「アメリカ分裂」(以下では同書とする)の主要な図表をわかりやすく作りかえ、そのねらいを紹介したい。なお、すべての表はクリックして拡大してご覧ください。

第1章表1.2は、全州の社会的背景を一覧にしているが、そのうち所得中位置とジニ係数の上位5州と下位5州をまとめた。(データは2010年)なお、左から2番目の欄は、国勢調査に基づく州別区分を示している。(州区分ついては、Census Regions and Divisions of the United Statesを参照)
所得中位置の額が少ない州には南部の各州が並び、所得格差の大きさを示すジニ係数の大きな州には、北東部3州、南部2州が入っている。


経済的な地位が政治的な意思に強く結びついているとは言えないが、このデータは基礎的なデータとして重要である。

同じ第1章表1.3, 1.4の各州の政治的態度についてのデータを、表1.3では保守ーリベラル、表1.4では共和ー民主の数値の上位5州と下位5州を一覧にした。(データは2008年)
イデオロギー態度では、保守ーリベラルの数値が高いのは南部諸州、低いのは北東部各州が多い。政党帰属意識では、共和ー民主の数値が高いのには、西部と中西部が占め、低いのは北東部各州がやはり多い。

これらのデータをもとに、同書では各州の特徴付けがp.29-40で詳しく行われている。

第2章は南部の分析に充てられている。同書表2.1が示しているように、南部は最も人口変動率が高く、2010年には全人口の37.1%を占めている。
表2.9によれば、共和党が大きく増加しているのは、南部West South Central(WSC, 計4州)と南部East South Central(ESC, 計4州)のうちの掲載された州である。南部South Atlantic(SA、計9州)では、共和ー民主の数値が、20年間にあまり変わっていない。

章題は「揺らぐ?共和党の牙城」となっているが、まずは右の特徴をみておく必要がある。また、p.64のこの表の説明は今ひとつ不明確である。

次に第3章では、近年急速に増大しているヒスパニックが検討されている。
表3.3で注目すべきなのは、ヒスパニックの投票行動の標準偏差が、民主党と共和党への投票に限らず高いことである。それは、ますます増大する彼らがどのように投票するかが、アメリカの今後に大きな影響を与えることが予想される。

以上の検討は2012年までのデータに基づいており、2016年の大統領選挙については第5章で扱われる。第5章と、私の問題整理は、次のブログで検討したい。あわせて参照いただければ幸いです。

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2017年1月23日月曜日

北斎晩年最大の傑作、須佐之男命厄神退治之図 No.1

晩年の北斎はやはりすごい。その最大の傑作のひとつ「須佐之男命厄神退治之図」(1845)が現代に甦った。
凸版印刷によれば、同社は、「墨田区が進める、葛飾北斎晩年最大級の傑作といわれる大絵馬「須佐之男命厄神退治之図 (すさのおのみこと やくじん たいじのず)」の復元プロジェクトに参画。関東大震災で焼失した「須佐之男命厄神退治之図」の残された白黒写真から、凸版印刷の最先端デジタル技術を活用し、撮影された当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元しました。」

この復元については、NHKの「ロスト北斎」で詳しく紹介された。
左がその復元画像である。現在、すみだ北斎美術館に掲げられている。

今のところ手元にはこれ以上の適当なカラーのデータが無いのでこれを用い、後日より鮮明な画像に差し替えたい。

牛島神社によれば、元の絵は、全体に銀箔が使用されたとされているが、復元された絵馬では金箔が使われている。

とりあえず、元の白黒の写真版もあわせながら細部を見てみよう。白黒の絵馬は牛島神社が所有しているものである。




左の中央二人目、朱色と思われる服をまとい、腕には疱瘡の痕が見える疱瘡神(疱瘡(天然痘)を疱瘡をもたらすと信じられた疫神)が見える。朱は魔除けの効果があると思われていた。
画面全体の中央には、紫の衣をまとった梅毒の厄神とそれに寄り添いじっとこちらを見ている人物がいる。
右側には風邪をはやらせる疫病神、風邪の神が描かれている。
このように北斎は、人間社会をおそう様々な疫病神、厄病神と、それを退治しようとする真っ白な衣装の須佐之男命を描いたのである。

あらゆるものを描き尽くそうとした北斎ではあるが、この図のような病気の神々から人間社会を救おうするようなモチーフの絵は、おそらく非常に少ないと思われる。それは、次々と天災が起こり社会が不安定になった、当時の社会の出来事の反映であるだろう。また、最晩年に入って北斎の心境が少し変わったのかもしれない。

もうひとつ同じようなモチーフで描かれた、晩年の北斎の作品を掲げておこう。「弘法大師修法図」である。なお、晩年の北斎の作品は、「北斎肉筆画大全 Kindle版」で見られる。

この作品を所有する西新井大師は次のように説明している。「本図は弘法大師がその法力を持って鬼(厄難)を調伏する様子が描かれ、当山の縁起を表しているものと思われる。大正の大震災で焼失した向島牛島神社の「須佐男命厄神退治ノ図」扁額などとともに信仰に支えられた渾身の力作であると言えます。」

これらの作品を通じて、北斎のもうひとつの姿を見ることができ、北斎が描こうとしたものの多彩さとその溢れんばかりの表現力がさらに明らかになってくるように思われる。

「須佐之男命厄神退治之図」と、復活にかけた人々の努力と現代のデジタル技術のすばらしさがもっと詳しく明らかになることを大いに期待したい。

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