2013年9月1日日曜日

イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (2)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours

Isabella Lucy Bird from Wikipedia
イザベラ・バード『朝鮮紀行』のより詳しい書評を作成しました。
(私のHPにも掲載中、2021.04.05)

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前回(1)では、イザベラ・バードの朝鮮に対する最も基本的な認識について紹介した。今回(2)では、経済と妓生に関する記述について紹介したい。

朝鮮の政治の混乱は経済にも影響を及ぼしていた。「朝鮮馬一頭で10ポンドに相当する現金しか運べないほど貨幣の価値が低下していること、清西部ですら銀行施設があって商取り引きが簡便になっているのに、ここにはその施設がまったくないこと、概して相手を信用しない」という状況だった。(394, 太字は新保による、以下同じ)
日本の朝鮮への進出は、当然経済的な進出を伴っていた。「しかしながら日本の影響により、上質の円銀が徐々に朝鮮国内に入ってきており、前回のわたしの旅行のように大量の穴あき銭を運ばなくとも、あるいはそれが足りなくなって右往左往しなくとも、朝鮮の新貨幣はひとつも目にしたことはなかったが、日本の銀貨だけはどこの宿屋でも受け取ってくれた。」(394)

また、ソウルとともに重要な都市である平壌についてこう書いている。「平壌はきわめてゆたかできわめて不道徳な都市だった。宣教師が追い出されたことは一度ではきかず、キリスト教はかなりな敵意をもって排斥されている。つよい反対傾向がはびこり、市街に高級売春婦の妓生(gesang)や呪術師があふれ、富と醜行の都という悪名が高かった (the city was thronged with gesang, courtesans, and sorcerers and was notorious for its wealth and infamy)。」(444)
平壌はむかしから妓生の美しさと優秀さで有名である。妓生とは歌舞のできる女のことで、いろいろな点で日本の芸者に似ているが、正確にいえばその大半は政府の所属で国庫から俸給をもらっている。
 何人もの息子に恵まれても貧しくて養いきれない場合、親はそのうちひとりを政府に宦官として捧げることがあるが、娘の場合は妓生として献上するわけである。
 最も美しくて魅力的な妓生は平壌の出身であるとはいえ、妓生は全国のどこにでもいる。国王から下級官吏にいたるまで、散財する余裕のある者にとっては、妓生は宴会の客を楽しませるのに不可欠な存在と見なされている。」(449-51)

韓国からいわゆる従軍慰安婦問題が、繰り返し取り上げられている。その問題が、韓国の歴史の中でどのように位置づけられるのかについての歴史的な研究が、日韓両国でさらに深まることを期待したい。

ともあれ、イザベラ・バードは、冒頭にも紹介したように、4度も朝鮮を訪れ、朝鮮に特別に期待を持ってこの紀行を書いている。日本と朝鮮の歴史をともに理解する上で、必読書のひとつである。『イザベラ・バードの日本紀行』(、Kindle版がある)とあわせ読むと、さらに両国を良く理解できる。日本語訳で583ページもあるが、図も表紙のようにたくさんあってとても興味深く読める。

関連する私のブログ:エッカート『日本帝国の申し子』、Carter J. Eckert, Offspring of Empire

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イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (1)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours


イザベラ・バード『朝鮮紀行』のより詳しい書評を作成しました。
(私のHPにも掲載中、2021.04.05)

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最近、韓国からの歴史認識についての主張が活発に行われている。それに対して、日本は受け身では無く、事実を持って応えることが必要である。日本からの投資については、私は何度も論じているので、ここではひとつの重要な文献を紹介したい。

近代朝鮮と日本との関係を理解するために、非常に貴重な文献が、イザベラ・バード『朝鮮紀行~英国婦人の見た李朝末期』である。バードのもうひとつの作品である、『イザベラ・バードの日本紀行』には、Kindle版があるが、前者には無い。そこで、その原書Korea and Her Neighboursとあわせて読むことをおすすめしたい。Kindle版があれば、ひとつの用語が、図書全体でどのように使われているかがよく理解できるからだ。

バードは、1894年1月から97年3月にかけて、4度にわたる朝鮮旅行を行った。その記述は実に細やかで、以下に見るように朝鮮には厳しいが、実は愛情にあふれている。

バードの朝鮮に対する基本的な認識は以下の通りである。「このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」(344、太字は新保による、以下同じ)

このような状況で、日本が採った対応についてこう述べている。「わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくともいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。」(564-5)

そして、日本の朝鮮進出について、外国はどう考えていたか。「王妃暗殺からほぼ一か月後、王妃脱出の希望もついえたころ、新内閣による政治では諸般の状況があまりに深刻なため、各国公使たちは井上伯に、訓練隊を武装解除し、朝鮮独自の軍隊に国王の信頼を得るに足るだけのカがつくまで日本軍が王宮を占拠するよう勧めて、事態を収拾しようと試みた。日本政府がいかに列強外交代表者から非難を受けていなかったかが、この提案からわかろうというものである。」(364)

このような状況のなかで、首都のソウルは次の通りだったという。「とはいえ、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺物はわずかしかないし、公園もなければ、コドゥンというまれな例外をのぞいて、見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!」(85)

バードの視線は、さまざまな面に及んでいる。(2)では、経済と妓生についての記述を紹介したい。

関連する私のブログ:エッカート『日本帝国の申し子』、Carter J. Eckert, Offspring of Empire

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