2015年7月21日火曜日

第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー(Wedemeyer,Albert C.)回想録

前回のブログに引き続き、第二次世界大戦を考える最も重要な書籍のひとつとして、『第二次世界大戦に勝者無しーウェデマイヤー回想録』を紹介したい。

まず、ウェデマイヤー(Albert C. Wedemeyer)将軍の略歴は、同書に依れば以下の通りである。
「1897年米国ネプラスカ州生まれ。1919年ウェスト・ポイント陸軍士官学校卒業。36年陸軍大学卒業。独陸大留学後参謀本部勤務、連合軍東南アジア副司令官、中国戦線米軍総司令官兼蒋介石付参謀長を歴任して51年退役。53年予備役名簿で陸軍大将に進級。89年12月没。」(奥付)

ウェデマイヤー将軍は、「第1章 第二次大戦前奏曲」でこのように述べている。「ルーズベルトは、ドイツに対米宣戦させようとした極端な挑発行動も失敗し、アメリカ国民の大多数の参戦反対の決意も固く、アメリカ議会で宣戦布告の同意が得られる見通しもなかったので、彼は目を太平洋に転じた。・・・。アメリカは、日本が面白をつぶさない限り現に保持している地点から撤退できない、という妥協の余地のまったくない提案を日本側におしつけた。」(上、p.40)これが第2次世界大戦の引き金になったという。すでに紹介したハミルトン・フィッシュと同じ見解であり、同じ事実認識であった。
この点については、第二十七章「第二次大戦に勝者なし(二)」で再び詳細に説明している。

そして、彼は日本の真珠湾攻撃を誘導したルーズベルト大統領に対して、次のように批判している。「最後に、連合国側の過失のうちの最大のものは、同盟国であるソ連の戦後に対する意図を正しく判断できなかったことである。ルーズベルト大統領は、一九四四年三月八日、こう述べている。「余としては、ソ連はまったく友好的であると考える。ソ連はヨーロッパの残りの地域を全部むさぼり取ろうとはしていない。ソ連は他国を支配するような考えは少しも持っていない。」」(下、p.372)戦後すぐのソ連、そして現在のロシアを見れば、ただちに明らかになるが、何という根拠の無い主張だろうか。そのように考えるようになったのは、「「ルーズベルトは、第四期の大統領任期なかばにもうろくする以前でさえも、陰謀家どもや共産主義に対しては腰ぬけのインテリたちにとりかこまれていた。」(下、p.273)からだと言う。

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ウェデマイヤー将軍が厳しく批判したもう一人が、ルーズベルトを支えたマーシャル将軍である。
「私は、マーシャル将軍が中国に対する彼の基本的な過失、つまり、国民政府と共産主義者は勢力争いする二つの党派にすぎないという考え方と、蒋介石に共産主義者との妥協を強要するため、一九四六年から四七年にかげて、中国に対する武器、弾薬の補給を全面的に禁止した過失、の二点を認めるならば、いまでも将軍をこの時代の偉大な人物のひとりとして尊敬する。しかし将軍は、国民政府に対し共産主義者への譲歩を強要するという、まちがった対中国政策を決して改めなかった。」(下、p.283)
ルーズベルトがソ連との同盟を最重要視したのと同様に、マーシャル将軍は中国国民党に共産党との妥協を強要し、結果として、共産主義の支配が中国から全アジアに拡大し、大規模な東西冷戦と朝鮮戦争のような本格的な戦争を生み出したのである。このように、ウェデマイヤー将軍の批判は、ルーズベルト体制全体に及んでいる。

一方で、彼は上記の通り、ドイツで学んだ時期があったが、ドイツに対しての批判は抑制的である。「ドイツがもっとも侵略的な国家で、たび重なる平和の破壊者であるという世間の想像は誤っている、ということを確かめるには、たいして歴史を研究する必要はない。地図を一見すれば、イギリスやフランスが平和愛好国であったかどうかはすぐわかることだ。もし英仏が平和的であったならば、どうして地球上のあんなに広大な地域を統治することができるようになったか、ひとつ彼らにたずねてみようではないか。」(上、p.48)
フィッシュは政治家として伝統的なアメリカの価値観から、ウェデマイヤー将軍は職業軍人としてルーズベルト体制を厳しく批判した。戦後70年経ち、フィッシュやウェデマイヤー将軍のような見解が、改めて広く紹介され、第二次世界大戦が何であったのかを詳しく検討し直す必要があるだろう。

なお、ウェデマイヤー将軍が、終戦時に、中国大陸にいた三百九十万の日本軍将兵と在留邦人の早期内地送還について、大いに尽力されたことについては付記しておく必要がある。

この著作には、研究文献としては必須の詳しい索引が付いている。できれば、高齢化社会に適応できるように、本のサイズを大きくすることや、電子版(原書にはKindle版がある)を出す等が今後試みられることを期待したい。

<関連する私のブログ>
ハミルトン・フィッシュ(Fish, Hamilton)の『ルーズベルトの開戦責任』 (2015.7.17)

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2015年7月17日金曜日

ハミルトン・フィッシュ(Fish, Hamilton)の『ルーズベルトの開戦責任』

今年は戦後70年、注目すべき文献が次々と刊行されている。

ハミルトン・フィッシュ(Fish, Hamilton)『ルーズベルトの開戦責任 -大統領が最も恐れた男の証言』(FDR : the other side of the coin : how we were tricked into World War II)は、きわめて重要な事実を明らかにしている。できるだけ翻訳原文を詳しく紹介したい。

まず、書籍が簡潔にまとめたフィッシュの略歴である。
「1888-1991年。ニューヨークのオランダ系WASP(通称ニッカーボッカー)の名門に生まれる。祖父はグラント大統領政権で国務長官をつとめ、父は下院議員に選出された政治家一家。ハーバード大学卒業後、1914年、ニューヨーク州議会議員となる。第1次大戦では黒人部隊を指揮して戦う。帰還後の20年、下院議員に選出(~ 45年)。共和党の重鎮として、また伝統的な非干渉主義の立場から第2次大戦への参戦に反対するも、対日最後通牒(ハル・ノート)の存在を隠して対日参戦を訴えたルーズベルトに同調する議会演説を行なう。後にこれを深く後悔、戦後は一貫してルーズベルトの、ニューディール政策に代表される議会を軽視した国内政治手法とスターリンに宥和的な外交を批判し、大統領の開戦貸任を追及した。」(表紙)

本書では、ルーズベルトによる経済への国家介入を拡大するニューディール政策が実際には効果が無かったことが示され、またその経済政策と一体である共産主義ソ連への宥和政策が厳しく批判され、これらの政策がアメリカの伝統である経済活動の自由を脅かし、外交での不干渉主義に反することが明解に主張される。彼の主張は、アメリカの伝統的な政策を最も明解に受け継いでいるだけでなく、現在改めて見直されている内容であることがわかる。
そして、日米間についての彼の主張は、第15章のタイトルにつきる。「アメリカ参戦までの道のり:隠された対日最後通牒、国民も議会も、日本に「最後通牒」(ハル・ノート)が発せられていることを知らなかった。」周知のように、ハル・ノートは日本にとって非常に過酷な条件でとうてい受け入れることはできなかった。

日本外交文書デジタルアーカイブ日米交―1941年―下巻による、ハル・ノートの主な箇所は以下の通りである。
(一)日米英「ソ」蘭支泰国間ノ相互不可侵条約締結、(二)日米英蘭支泰国間ノ仏印不可侵並ニ仏印ニ於ケル経済上ノ均等待遇ニ対スル協定取極、(三)支那及全仏印ヨリノ日本軍ノ全面撤兵、(四)日米両国ニ於テ支那ニ於ケル蒋政権以外ノ政権ヲ支持セサル確約、(五)支那ニ於ケル治外法権及租界ノ撤廃、(六)最恵国待遇ヲ基礎トスル日米間互恵通商条約締結、(七)日米相互凍結令解除、(八)円「ドル」為替安定、(九)日米両国カ第三国トノ間ニ締結セル如何ナル協定モ本件協定及太平洋平和維持ノ目的ニ反スルモノト解セラレサルヘキコトヲ約ス(三国協定骨抜キ案)
なお、この文書の画像版の一部は右上参照(原文はdjvuファイル)

ところで、フィッシュの日本についての評価を見ておこう。
「日本はわが国との戦いを避けるためには、ほとんど何でもするというような外交姿勢をとってい
た。・・・近衛(文麿)首相は和平を希求していた。ワシントンへでもホノルルへでも出かけて行ってFDRと直接交渉することを望んでいた。わが国の要求に妥協し、戦いを避けるための暫定協定を結びたいと考えていた。しかしルーズベルトは近衛との会見を拒否し続けた。日本に戦争を仕掛けさせたかったのである。そうすることで対独戦争を可能にしたかった。」(p.208)
「日本は小さな国である。人口は八千万ほどで、その国土はカリフォルニア州にも満たない大きき
である。日本は天然資源が乏しく、その上、つねにソビエトの脅威に晒されていた。天皇は道義心
にあふれていた(a man of honor)。そして平和を希求していた。」(p.209)
経済活動の自由を擁護し、反共産主義の立場に立つフィッシュは、アメリカと同様の共産主義の脅威に晒されていた日本の立場を良く理解していたのである。彼はソ連だけではなく、中国における共産党の脅威も的確に把握し、国共合作に対しても厳しく批判していた。

フィッシュの主張を補強するとして、フィッシュが紹介した重要な文献を挙げてみる。
ロパート・A・セオボールド(Theobald, Robert A.)海軍准将(退役)はその著書『真珠湾最後の秘密(The final Secret of Pearl Harbor)』(日本語訳:真珠湾の審判)の中で真珠湾攻撃について詳述しているが、彼は戦争を始めたのはFDRであると明言している。真珠湾を無防備のままにしたこと。二人の真珠湾の司令官に解読された日本の暗号に基づいた真珠湾攻撃の可能性を知らせなかったこと。FDRは日本の暗号文書の中に真珠湾におけるアメリカ艦隊の配置情報があると知っていたこと。日本を挑発した最後通牒(ハル・ノート)に対する日本の回答内容を知っていたこと。そうしたことを総合的に判断すればFDRの責任は明白である。」(p.229)

我が国では、今なお第2次世界大戦の責任を我が国とその指導部にのみ求めようとする見解が根強い。戦後70年の今年は、そのような一面的な見解を見直す重要な契機になることを期待したい。そのために本書は欠かせない書籍である。

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