2015年4月6日月曜日

ピケティの『21世紀の資本』と、森口千晶氏の論文、Prof. Thomas Piketty and Prof. Chiaki Moriguchi


ピケティ『21世紀の資本』が専門家以外の人も含む多くの人々によって読まれ、様々な議論を呼び起こしている。
ピケティの研究の最も大きな意義は、これまで使われてこなかった多くの国の税務統計にもとづいて、各国の格差の歴史的な変化を明らかにしたことである。その意味で、新たな研究分野を切り開いたといえるだろう。
また、研究成果をすべてWeb上に公開するという方法を採っていることも画期的で、ますます活発な議論が行われるだろう。
『21世紀の資本』トマ・ピケティ
The World Top Incomes Database

ところで、ピケティとともにこの研究を推進してきたカリフォルニア大学バークレー校のエマニュエル・サエズ教授と一橋大学の森口千晶教授は、同じ方法に基づいて日本についてその実情を明らかにした。下の図の通りである。日米「上位0.1%」の高額所得者による所得占有率が、1940年頃までは日米でともに高く、1980年代半ばまではともに低かったが、それ以降、アメリカは急上昇し、日本はそれほど大きな上昇は見せていないことが明らかにされた。

森口氏は、「以上のデータは、日本の高成長は戦前には「格差社会」、戦後には「平等社会」のなかで実現したことを明確に示す。・・・日本の経済システムは戦前と戦後で全く異なるものだったとする多くの先行研究と優れて整合的である。」と述べている。(表も含めて、日本経済新聞、2015/2/11)

これを言い換えると、戦前は市場中心型社会であり、戦後はメインバンク・システムと日本的経営と言うことになるだろう。以上の事実をも明らかにした、この研究の意義は非常に大きい。
戦前の市場中心型社会では、金融資本市場が著しく発達し、企業は市場から資金を調達し、個人は資金を市場で運用していた。市場を利用できた個人は、高額の金融所得を得ていた。
一方、戦後になると市場の役割が後退し、銀行が市場に代わってその役割を果たすメインバンク・システムが確立した。企業はメインバンクから資金を調達し、個人は銀行に預金した。上記の図は、このような経済システムの変化を反映している。

残念ながら、このような評価は、まだ我が国では、森口氏が言うように多くの研究が受け入れているとは思えない。戦後のメインバンク・システムが戦前の財閥に起源を持つかのような主張は今なお根強い。私は、戦前の日本の経済システムが市場中心型であると考えているが、同時に戦前の日本の企業は市場中心型コーポレート・ガバナンスであった。当時、市場中心型とは異なる財閥は有力ではあったが、支配的ではなかった。
森口氏は、「明治・大正期の経済発展のダイナミズムは、(1)資産家(商工業者・地主)による財閥系大企業への資本投下・・・」と述べているが、企業経営者をはじめとする多様な資産家による金融市場を通じた有力企業への投資と述べた方が適切である。

このように、森口氏の研究は、日本の格差について歴史的に明らかにしただけではなく、日本の経済システムの重要な変化について貴重な問題提起を行っている。
なお、戦後の変化については、改めて論じたい。

森口氏の研究については以下も参照していただきたい。
Chiaki Moriguchi and Emmanuel Saez, THE EVOLUTION OF INCOME CONCENTRATION IN JAPAN, 1886–2005: EVIDENCE FROM INCOME TAX STATISTICS.

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